給付金の経済効果が薄い発言について考えたこと。
そもそも貯蓄が何故行われるかと考えると、短期的、長期的なリスクに備えてのことであって、究極的には将来的に消費に回るお金である。収入として得ても消費されるまでの時間差があるお金を貯蓄。としてもいいかもしれない。だから降って湧いたような給付金であっても、短期的に消費されなければ、それを貯蓄とみなしてしまう。
でも貯蓄は悪ではない。家計にしろ企業にしろ現状と将来的なリスクとを天秤にかけた結果であって、将来を悲観的に、リスクが多ければ貯蓄が増えるのは当然といえる。
老後2000万だとか、どんどん上がる年金やら保険料やら言われているのに貯蓄が増えない方が不自然であるし、もちろん社会が成熟するにつれて、リスクがより顕在化して誰でも見えるようになったということもあるとは思うが、そのリスクを個人で負担するしかない国であるから貯蓄がなされるわけで、社会保障なども含めた包括的な話にまでいってもおかしくないのに、経済効果なんて一言で済ませていい問題ではないと思う。
元々経済効果だけでいうなら、給付金ではなく全部使う公共支出の方がマシといえるし、それこそ国民全員にPS5やiPhoneを配るような方策でも構わない。10兆円以上の予算を使ったのなら、それで1ヶ月でも早く完全なワクチンを作った方が日本だけでも月割りで40兆円くらいになるのだから経済効果は高いかもしれない。
しかし今回の給付金はコロナ禍における収入減の補てん的な意味でもなされた政策のはずで、ある程度が貯蓄に回るのも想定されるべきであり、給付金の分だけいつもより余分に消費をするなんて期待をしていたのなら甘いと言わざるを得ない。そういう人たちがいないとは言わないが、平時なら3ヶ月先の消費行動が即時行われたような時間差による違いしかない。コロナというリスクが新たに加わっているのに、貯蓄が増えることはあっても減ることはない。
であるから、経済効果だけで評価すること自体がおかしいし、その上で消費がーというならば、国民はキリギリス的楽観主義者ばかりであるか、給付金を貯蓄に回す余裕もない所得しかない状態でないといけない。どちらにしても経済どころか国自体が成り立っていない。どういった前提や価値観で経済効果をのたまっているのか。
結局消費喚起策とは言っても、現状の消費からプラスアルファで消費をさせるには、普通なら貯蓄を崩すか借金をしなければいけない。Aへの消費を抑えてBの消費を増やすだけでは意味がない。Gotoが賑わいを見せているのは、もちろんコロナ禍で大打撃を被った環境業支援もあるが、それらが政府支出によって安価にできるからであって、その選択によって別の消費行動を抑制している面も当然あり、お金が回らなかったところが回るようなること自体が結構な経済効果ではあるが、決して万々歳な政策というわけではない。旅行などをしない、できない人達には恩恵は全くないし。
こう考えてみると、政府のできる経済政策とはその強権をもってお金を回すことなのではないか。と思うに至る。収入がなくて回らないところにお金を回し、貯蓄に回し過ぎているところからお金を取る。そう考えると、消費税より貯蓄税の方が効果があるのかもしれない。もちろん金融的に言えば貯蓄資金は誰かの借金となって全体としては消費を支えているわけだけど、理屈的にはそうなるな。
残る経済政策があるとすれば投資ってことか。インフラ投資と教育投資。インフラの強さは国そのものの基盤を強さであるし、教育投資は国の主権が人にある以上は当然すべきもの。より高い効果をもたらす投資及び投資技術が重要か。1を10にするのではなく、1を1.001にするような社会情勢かも知れないけれど、その積み重ねかもしれない。囲碁みたいに。
要はシンプルに経世済民ってことやね。原点としては当然だし、数字や仕組みをいじくるようなその場しのぎ的な小細工ではダメってことか。
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