くら寿司。バランがハロウィン仕様になってた。こういうの好き。タブレットになってたし仕切りもできてたし、色々変わっていたな。天丼はまぁ安くはないがお腹一杯にはなるな。久々に腹いっぱい食べた。システムは好きだけどくら寿司は半分以上が米、糖質になるのがイヤ。
なんかメール来てた。退勤をメールかなんかでやるらしい。どのみち点呼とかするだろうに二度手間とかなんだよな。一々面倒。
服装とか用意をしておかないとな。
投票へ。昼だったせいか人は多かった。記念にティッシュとか貰って帰りがけにハザードマップも取得。トイレの中でのんびり眺めるかな。外では出口調査してる人いたな。新聞とか見る限りこの地区はほぼ決まりっぽい。市長選とかもあるからまたそれはそれで別だけど。個人的には逆に接戦っていうところはどういう政治構造しているのか気になる。確かに進太郎とかだったら嫌だとは思うが。鉛筆貰えるのかなと期待したけど、芯だけの簡易鉛筆だった。それは特に要らないからいいや。
最高裁の方は一応新聞記事には目を通したが、特段ひどい人は見当たらなかったので、そのままで出したが、公正に精査して×をつける人達がいるのであれば全員に×をつける方がその人たちの手助けになるような気もする。しかし信任投票のみならず、自身の考えなどを放棄し人任せで行う投票が本当に社会にとって良いかどうかという問題もある。尤も、公正に精査する人をどういう根拠で信用するかということも踏まえれば、結局自分の能力の及ぶところまででしか投票行動ができないと考えると、議員や政策、政治に関して高い見識を持つ国民でなければ、良い投票を行うことはできないことになる。しかしながら、通常は自分の暮らしで手一杯であるのだから、そのレベルを求めることは不可能と言ってもいい。だったらお前が立候補しろって話だしな。それでもなお最良と思える選択をしなくてはならないのだから民主主義というのは非常に大変な仕組みであるな。権利とか自由とかそういうお題目以前の話。それはすなわち国民教育レベルが民主主義にとってどれだけ大事かってことになる。そりゃその中から大臣やら首長が選ばれるのであるから当然ではあるが、選ぶ方にも審美眼のようなものが必要であるということの裏返しでもある。独裁では必要ないからな。独裁は政治システムとしてはどちらにとっても楽と言えば楽。それでうまくいくならそれでもいいくらいに。民主主義という制度を運用していく以上、やはり教育というのは国を作る上での根幹なのだな。
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