なんとなく異世界転生ものについて考えてみる。
しばしば、なろう系で揶揄されているけれど、作る側からしたら好きな世界設定でつくれるのだから、楽なことこの上ないだろう。当然そういう設定の作品が多くなると思われる。
入念な取材をもとに小説を書くような人は、ラノベのジャンルにはならんだろうし、緻密な設定を作り上げる人がいたとして、皆がやっているような流行りの異世界転生的な枠でやるとも思われない。そういう土壌だったり、そういう風が吹いているせいで偏っているだけじゃないかなと。
とはいっても、見ている方としては面白ければどうでもいいのだけれど、一口に転生といってみても、転生ものではないとされる他の作品も、根本的な部分では大して変わらんものも多いと感じる。
アニメのけもフレ1なんかは自分たちのいる現実世界とは違うジャパリパークという世界に、かばんちゃんというある種の転生者という構図。彼女の場合は人間という特性で問題や困難を乗り越えていく形。
SAOなんかもそうだが、ゲームもの。VRゲームものも異世界ものとほとんど変わらない。RPG的なところもそうだな。現実部分とリンクさせるかどうかはあっても、別世界では大活躍という流れは、中二的な設定ではあるものの、ファンタジーという大きな括りではすごくポピュラー。もともと異世界転生っていう導入がRPG的なところと同じだからな。
で、こういう構図っていうのは、少年がいきなりロボットに乗って戦争ってのとさほど違いがない。ガンダムやエヴァに乗って戦うのと、とあるみたいに超能力が使って戦うというのは、力の象徴が違うだけで設定的には変わらんよな。
これに善悪の対立構造入れればライダーや戦隊ものだってほぼこれ。プリキュアも。物語の最初から強いか、後付け的に強くなるかの違いはあっても、材料的には大きく変わらない。ファンタジーが麺料理という括りなら、ここら辺はみんなラーメンみたいなもんって感じ。
だもんで現実として、今売れている作品に異世界転生が多いのは、そういう流行りだからっていうのもあると思うが、導入がゲームにおけるRPGジャンルと同じようなド定番的な、ある種の王道だからでしかない気がする。プロ作家や編集が今売れているジャンルに乗っかるのは至極普通であるし、その中で人気を博したものが、アニメ化とかの露出が増えるならそう見える。
ただ、流石に醤油ラーメンばかりじゃ飽きるよね。ってところまで客側がまだ来ていないだけなのかも。もう少し時間が経てば、豚骨やみそがでてくるだろうし、パスタが流行ったりするかもしれんしな。うどんやそばもいいぞ。
で、こう考えてみるとゲーム的なものをラノベや漫画にしているという感覚が出てくる。
昔のドラゴンボールや幽遊白書など、色んな漫画がバトルしていたころスト2も流行っていた。
格闘系に関してはどっちが先かはわからないけど、ドラクエを受けてガンガンができたしロトの紋章やダイの大冒険ができた。どちらかというのドラクエは4コマだったけど。
ゲームとしてのシュタゲはシナリオ分岐型のADVだと思うが、近いシナリオ設定であるREゼロのアニメを考えると死にゲーACTといった趣がある事に気付く。アニメのシュタゲも、アニメではシナリオ分岐という形にはならないので、構成としてはルートが一本道(のように見える)になることを考えると、こちらもヒロインが死にゲーという意味ではシナリオ構造は同じようなものと言えるのでは。死なないルート模索を見せている。
チャンバラアクションとして見れば、水戸黄門や暴れん坊将軍とかの時代劇だって似たようなもんだしな。無双系のシナリオ構造って同じようなもんだし。何ならお使いクエストと見れば、GTAとかオブリのあれになる。つまり、水戸黄門=GTA。
STGや音ゲーまで行くと、音楽を聞いて普通にダンスとかになるかもしれないが、シミュレーションになると、紙・映像メディアでは難しく感じる。DrストーンがCivを漫画にした感じというのはそうとも思うし、鉄腕DASHの開拓は感覚としてはシミュゲーに近い感じを受ける。店を成長させる的なドラマは、設定だけ聞くとシミュゲーに近いところはあるが、シミュレーションではなくドラマシナリオとしてどうかが重要になる。映像メディアの肝がシナリオにあるのは、シミュレーションが実際にはできないために、過程と結果=結末をどう魅せるかに尽きるからかもしれない。大河ドラマみたいな場合は過程と結末がほぼ既知のことである分、細かいサイドストーリーや演出が肝になりそうではあるが。
こうやって考えると、今の紙やテレビのコンテンツをゲームジャンルとして置き換えていくと、流行り廃りが見えてくる気がする。
ならばこそ。ゲームの主流(日本の)であるRPGをラノベや漫画で再構築したものが異世界転生ものというのも、あながち間違いではないのかも。ゲーム実況動画も普通に人気ではあるし、そういった流行りを見て作品を作っていても不自然ではない。なんなら異世界でクラフト系にすれば、シミュゲー要素にもなるし。
30年前にFCが出てきて、今じゃスマホという形で完全に普及しているゲームというコンテンツだが、それ自体がもはやメディアといった様相になっている。
漫画の凋落も、ある種ゲームの台頭によって奪われているとも言えるのかも。新メディアが普及すると、当然他のメディアの利用時間は減る。紙媒体、テレビ媒体はゲーム媒体と完全に競合する。ジャンプ最盛期とSFCが出る時期と被るのは、単にバブルとかの経済条件だけじゃないのでは。とすら感じてくる。
表現の可能性として考えれば、ゲームという方法は、紙媒体に比べて音が出る分明らかに上位のものであるとは思う。映画やアニメの映像メディアと比べても、複数のシナリオ分岐を提示できる点で上位のものであると思う。優劣というわけではなく、あくまで表現の可能性において、ゲームはそれらのコンテンツをゲームという形でほぼ同等の表現することができ、内包できるといえる。
ならばゲームというジャンルにおいて人気のあるものを、下位メディアで表現するというのもまた手法としてはあり得る。家系ラーメンをインスタントラーメンで表現。とかと同じだな。
ゲームは娯楽として能動的にプレイする娯楽であり、漫画、アニメは基本的には読だんり見たりすることで受け取る受動的娯楽で、単純な比較はできるものではないけれど、他人のやっているゲームを外から見る。という行為自体は、漫画アニメと同質の娯楽ともとれる。ゲームをプレイするのはめんどいけど楽しみたいという層は当然のごとく存在するし、実況動画やTAS・RTA動画のいいところはそういう面倒なゲーム的な作業や時間を省略して楽しめるところにある。ある種、それをやっているのが、今の異世界作品だったりするのかもしれない。ゲームでRPGが多い理由こそが、異世界系の多い理由につながっているのでは。
でもまぁ見る側からすれば最低でもクール毎でジャンルはあまり被らない方が楽しい気はする。
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