忍者ブログ

備忘録

CSCのブログのバックアップだったけど、こっちがほんちゃんに。

読書感想文

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

読書感想文

アルファ碁はなぜ人間に勝てたのか  斉藤康己


たまたま見かけたので借りてみた。

ざっくり言えば、おおよそのイメージをつかむにはいい本だと思った。
一応昔からの囲碁AIの流れをさらっていて、ゼロからでもわかるようにと言っている分具体的な詳細な部分の記述はほとんどないが、たしかにゼロから読む分にはいいとは思った。ただ、年表を読むような、歴史の教科書を読むような感じにもなるので、さほど面白くはない。
しかも、出たのが2016年の9月ということで、現在と隔世の感がある印象を受けた。東大君もやめてるし。その時ならば受け入れられたであろう筆者の言葉も、ずれていると感じる。
シンギュラリティや創造的な仕事などの持論はほぼイメージ的なもので、具体的、論理的なものには感じられなかった。マスター、ゼロ、アルファゼロと進んでいる今の状態からすると、認識が甘かったのではないかと思う。
まぁ、もっとも、研究者から見る認識と一般人が受けた認識に大きな違いがあってもおかしくないからしょうがないのかな。そういう意味で自分には合わなかったかなとは思う。何かしらの発見や感動があったという本ではなかった。




創造的であったはずの棋譜を、人知を超えたレベルで作り出すことができるという時点で、創造的と思われるものすべてにAIは浸食するし、対人サービスであればあるほどAIは真価を発揮すると個人的には思う。そもそも何をもって創造的とするかの議論もあるだろうし。マニュアルや手順書がある理由は、対象が人のキャパシティを超えているから。もしくは能力のない人間にも最低限のことをできるようにさせるため。と考える。人間が一人でできることや経験は所詮人一人分でしかない。しかも死ねがその経験・技術のほとんどはリセットされる。
しかし、AIはそれを同時に何千何万人分の経験を学び取った上で死なずに残すことができる上にコピーして共有することさえできる。例えば対人なら、どんな人にどういう対応をすれば良いのかという問題に対してすら、人知を超えるレベルで学ぶようになる。アルファ碁が示した可能性というのはそういうこと。もっとも、何が正解であるか。というゴールを設定しなければならないところが難しいとは思う。そこは人間の能力次第なのだろうな。
究極的には介護・教育・医療などはむしろ一番AIに向く業種となるだろうし、もちろんそれをクリアできる環境になるにはまだ時間がかかるとは思うのだが、この本だって1年ちょっとで隔世の感を感じたくらいなのだから、遠くない未来に実現していてもおかしくない。少なくともAIから学ぶ時代はもう来ていると感じる。一流のトッププロは自分達以上の存在がいないから成長が停滞していた。そして今はその制約はなくなった。アルファ碁以降トップ達が軒並み連勝していたのはその表れと思う。その分野においての可能性が示されるのは、人の壁を壊す役割になると感じた。まぁ凡人には関係ないかもだが。


また、人の意識やら認知科学やらはあまり関係なくなってきている。ディープラーニングがもたらしたのは、人がプログラミングできないことをAIに作らせることであって、人間の模倣ではなく学習プロセスの応用だった。プラス専用のハード。アルファ碁の打ち手には人間味が感じられないし、逆に自分がイメージした囲碁の打ち方に近いとさえ感じるのだが、人の模倣でない、人を超えたものになっているからこそ凄いのであって、むしろ人間という制約から解き放たれる日がいつか来るかもしれないとすら考える。人間を研究して、今以上に効率効果の高い機械学習方法が確立されるかどうかより、AIが自身でより学習効果の高い方法を確立する方が早いんじゃないだろうか。


ゲームを見てAIが同じように動くプログラムを組むような時代に、AIがAIを作るような時代に、出てくる結果が優秀であれば、中身がどれだけブラックボックスであろうと生産性という観点においては構わないだろう。AIを評価する点はまさに人より優秀でさえあればいいからだ。
実際、AIで議論になるのはまさしくそこに移っているとさえ感じる。自動運転もそうだが、何かが起きた時にだれが責任をとるのか。という点。AIが優秀になりすぎて人では理解できない判断をするし、人では起こさないようなミスもする。これはアルファ碁が既に見せてくれているわけだが、囲碁はゲームだからいいものの、人命に関わるとなれば当然問題となる。社会が、人間が、AIをどう受け入れるべきかというところまで来ていると感じる。AIにおける社会構造の変化は前提としてあって、しかしながらそれがどこまで影響を及ぼすのかがわからない。自動車やネットとは違って範囲が広域にわたっている上に、AIによって代替された労働力の受け皿が見出せない。それともAIによって未知の市場が生まれたりするのだろうか。社会的なコストが格段に下がることはあるかもしれないが、収入がなくては食っていけんしなぁ。AIが社会全体の利益をもたらすものとなり得るのかどうか。


自動運転は単に市場規模が大きいからというのはあるのだろうが、AIに学習させるには難しい意味がある。アルファ碁は自己対局でいくらでもシミュレーションができた。自動運転はどうしてもリアルでやらなければならず、人間と同じだけの時間が必要になってしまう。これを克服するには数で押し切るか、非常にリアルなシミュレーションを電脳空間に展開しなければならない。こんな感じなので、学習環境をどれだけ用意できるかがAI学習分野の制約になっているわけで、逆に言えばこの部分を一気に広げてしまえば、その分野のAIの学習は一気に進むだろうと想像できる。一体どこが先んじるのかは見ものでもある。アルファ碁と同じような学習環境を用意できれば人知を超えるのはすぐだろうな。


PR

コメント

カレンダー

04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

アーカイブ

ブログ内検索

アクセス解析

カウンター

忍者ポイント広告

アクセス解析