碁は殴るか構えるか 王メーエン
序盤中盤の着手を殴るか構えるかという判断で打ちますという内容。大きい手小さい手とかわからないから。と。本当にそれ以上でもそれ以下でもない感じ。
天王山や頭や中心点といった言葉のきちんとした説明はないが、今までゾーンプレスパークとかを読んでいるので特段困らなかった。が、そこは本当はキチンと説明しておかなきゃいけない部分じゃないかと思った。メーエン囲碁観をある程度知っておかないと、構えるにしても殴るにしてもどこに着点にするのか。注目するのか。の根拠がわからないのじゃないかと感じた。まぁわからなくてもなんとなくはわかる内容ではあった。
構成は多く殴った方が勝ち、殴れない時は構えるという考え方を実践局面を通して説明していく形。ずっとそれ。そして殴った形になるのかなってるのかどうかという感想。一貫して技術というより考え方の本。コンセプトの本。まぁ実際それで打てると思う。
読んでみると碁にたいする考え方に関して、ハゲ先生のとほとんどかわらないと感じた。ハゲ先生はいい形が多いほうが勝ち。悪い形が多いほうが負け。それを攻めによってそういう形に持っていく。という発想であるから、この本とすり合わせれば、より殴った方が勝ち。というのはほとんど同じことを言っている。。。ように少なくともおれには見える。
そしてヨーダもヨーダの本を読んでいると形に関して神経質じゃないかと感じるくらい気を配っているように見える。比較的他の棋士と比べて独創的といわれているようなこの3人が、そろって同じことを言っているような感じがあって面白い。というか打ってて思うけど、上手になればなるほど綺麗な形を維持している。形の重要さは身に染みてわかっているけど、自分自身がそれを実践しようと思ってもなかなかうまくいかない。その形の良さを引き出せない棋力だからだろうし、当然悪い形に関しても鈍感だし、結局のところ読めない見えない比較できないの三拍子だからだろうな。マジで筋よく形良く打てば上達するというのは至言だと思う。でも打っているときは形が見えない。さっぱり見えない。意識してはいるけれど比較していい形とか全然見えてこない。ドリル的な訓練した方がいいのかな。つっても同局面なんかありえんからな。定石の勉強でもした方がいいんだろうか。
一点気になったのは、ハゲ先生が守っていないようで守っている。変幻自在。そんな水のような石の流れを理想のようにしているのに対して、ボクシングや柔道などの格闘技を例にだして「真ん中に構える」ことを置いている点では、ハゲ先生との差がでた気がする。まぁ普通は構えていた方が常道だけど、トッププロとしては構えないのが究極ではなかろうかとは感じる。アマ向けだからと言うのもあるのかもしれないが、構えるということは構えた時点で制約ができるもんだしな。相手のどんな手にも反応していかようにも返せるためには構えないほうがいいのだけれど、これはまぁ後の先的な発想なので、相手の手が全て最善最強という場合には構える方がいいのかもしれないな。攻守どちらにしても後の先が取れないような攻めが続くことが前提になるが。
発想としてそれで打てるのはわかるけど、かなり難しいものでもあるな。でも結局自分の棋力によるんだよなぁ。着点がだいたいわかったとしても、そこから先が見通せないと打てないんだよな。結局。