人類の第三回
日本列島に来るホモの流れ。
実験考古学ってやつの台湾から与那国島への話と、シベリア経由の手がかりとなる遺跡が出ている話。朝鮮半島からのルートは触れられず。
再現VTRはCGより安上がりっていうのもあると思うけど、あれは別に要らなくね?
昔は台湾も地続きで、インドネシアからオーストラリアまでもスワジランドで陸続きだったということで、サピエンスの進出は進んだという。アジアの遺跡からは文化的にもヨーロッパと遜色ない、今やアジアは人類学におけるホットスポットになっているという。
シベリアルートも氷期で渡れたという。
南ルートの台湾と与那国の間には黒潮があるので、基本的に漂流では無理という話。100㎞なので船としてもかなりのリスク。
島から大量に出てきた骨に耳の穴にある骨腫から、当時の白保人は海に親しんできた文化なのがわかるという。
実験では草の船。竹の船と作るも渡れずという結果。船を作るにもそれなりの人数で協力しなければならず、ある程度の数とコミュニティーが条件としてあるようだ。
船で渡った際にも5組の男女が必要だろうということで、それを想定して実験しているのだが、別に一度に渡って植民したわけでもない気もする。
オノの発明から木船を作れるようだと、かなり可能性が高まるようだが、個人的にはどうかと思う。当時に帆船の技術があったかどうかが気になる。シベリアルートで毛皮を縫う技術があるなら、大きな繊維質を利用するくらいの知能もあったのではと思う。ゴールデンカムイでは魚の皮で服作る言ってたし、布を作る技術もあってもおかしくない気がするんだけどな。
海に親しんできた部落ならば、当然島に渡るという用途の前に、船を使った漁をしていたはずであるし、それゆえに船も日常的に作っていたはず。操船などもある程度の経験による技術の蓄積もあったはず。その上で沖に漁に出た際に、ちょっとずついける範囲を伸ばしていく中で、プロジェクトとして植民を進めていったのならばまだわかる。高度なコミュニケーションが行われていた証左になると思うし、そういった社会性があるのならばいきなり植民ということはしないはずで、実験考古学とはいっても場当たり的な感じがある。
また、津波や台風などで黒潮とは違う流れに乗ることはなかったのか、という他の可能性に関する説明とかがなくてがっかり。氷期とは言え台風の発生くらいはあっただろうし、台湾は大きな地震が発生する地域だし、東日本大震災ですらがれきがアメリカまで渡ったのだから、瓦礫といっても当時ならば木とかなのだろうけど、それに乗っての漂着はあり得るのではないか。最後の方でハワイとかの話も出てたけど、本当に船で行ったのだとすれば、最早操船技術どころかある程度の星読みもできているはずで、知識の集積レベルは文明の域にあると思う。4大文明以前に文明はあった。現代人と同等と考えた方が早い気がする。
そういうわけで、そもそも交流が頻繁に行われるほどの航海技術があるならば不自然はないのだが、実験からすると意図的というよりかは偶然の産物のような気がする。地震における津波など可能性の方が高いのではないかと思う。
冒険好きがいた可能性は否定しないが、それにしてはリスキーに見えた。宗教的な生贄として流したり、台風などで流れつくことで、1度で5組ではなくても1年に数人が漂着することでも、必要人数はクリアできそう。それらが長い時間をかけて繰り返されてきた、とした方が個人的には説得力がある。当時の海流が今と違う可能性もあるのだろうし。
シベリアルートにおいても縫い針の発明に関して言っていたが、糸は何を使っていたのかの方が気になる。毛皮を縫うという技術以前に、糸という技術知識がないといけない。石のオノを蔦とかで縛りつけたはまぁわかる。ただ服を縫うといった細かいものになると、それなりの糸が必要なわけで、それがどうやって作られていたかの方が、技術として重要なんじゃないかな。ネックレスのような装飾品に何を使っていたのだろうか。針孔もそれが基準になるし。骨から針を作るのも結構大変なのは分かったが。
釣り針を作っていたというなら、釣り糸も作れた技術があったのかなぁ。であれば、服も作れたはずだよなぁ。繊維質を扱う技術も普通にあったのでは。