今さらだけども考えた。古田選手兼監督が2000本安打を達成した時、ボールを観客に投げていたが、あれは本当に良い行為だったのだろうか、と。一見素晴らしいように感じるが、よくよく考えると結構大変な事のような気がしてくる。
選手自身は自分に対してファンというわけではないだろうから、人によってはボールに対してそこまで執着もしないだろうし、たまたまそのボールは個人としては確かに記念的だけれども、ヒット一本一本が全て大事とか思っていればなおさら軽いものかもしれない。さらにいえば、ファンの方が自分に対して自分よりずっとファンであるのだから、そういう人達に贈った方が喜ばれると思えば、投げ入れるかもしれない。
ただ、ボールを得たファンの身になって考えると、これほどのうれしさはそうそうないだろうが、それと同時にかかる重圧といったらないんじゃないだろうか。
仮に古田捕手の大ファンだったら、このボールはもはや一種の宝といっていい。もし何らかのアクシデントで失うようなことになったらと一度でも思ってしまうと、はっきり言ってその記念ボールは重圧以外の何物でもない。単に誰々がつくって価値があるとかのお宝と違い、記念という重みがずっしりとのっかっている。
選手本人が無くしたというのであれば、周りからの風当たりも特にたいしたことないだろう。が、一ファンがそのお宝を不可抗力であっても失うことになったら、選手本人は特に気にしないのかもしれないが、周りの人間からどれだけ言われるかわからない。かといって、おいそれと手放すこともできないし、その重圧から開放されたいと思えば、古田記念館みたいのができて、ボールを寄贈できるようになるまで待つしかないわけだ。
恐ろしい。世界に一つしかないだけに恐ろしい。もし、自分がそのファンだったら、夜も眠れない。散々悩んで球団に送ってしまうだろう。ファンにはそれを乗り越えられるだけの精神力と覚悟が求められるわけか。記念ボール恐るべし。そしてそれを平然とやってのけた古田恐るべし。