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CSCのブログのバックアップだったけど、こっちがほんちゃんに。

Nスペ

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 二つの津波のやつと帰宅困難のやつ。

 最初のやつはもう大分前なので忘れてしまったが、正常性バイアスと同調バイアスと他愛行動だっけか。これらは一種のパニック状態なのかもしれないな。どれだけハードソフトともに防災対策をしていたとしても最後の最後は個々の防災意識に危機意識に関わってくるということなのだろうか。そのためにはガセとかではなくきちんとした情報を常に入れておく必要があるな。そしてパニックを起こさずに冷静に対処する。天災は待ってはくれない。
 しかし3番目のやつはたちが悪い。なにが性質が悪いといって自殺行為をしている人たちをどう助けるべきかという意味で性質が悪い。どちらも善意があるからこその意味もあるが、避難し続ける人たちが死んだ時に、助けられなかったという念が生き残った方に残ることを考えると、安易に残るといってはいけないし、一方で安易に周りに呼びかけて助けようとしてもいけない。必死に生きようとして助けようとして亡くなった人がいたことを考えると、今回のような場合、巻き添えにすることは結果的に道連れにすることに等しい。未曾有の大地震で絶望したのか、自分がいると足手まといと考えたかどうかはわからないが、もちろん、大津波が来ることを予見できていなかったのもあるかもしれないが、自分の命を守る迅速な避難が他人を生かす事と同義であるということをよく知らなければならないな。助けようとする方も、おぼれる人を助ける場合と同様むやみに飛び込んではいけない。まず一旦自分の命を逃走手段や経路を確保し情報を常に入れるようにした上で、ようやっと人助けに乗り出すべきで、君子危うきに近寄らずは非常時だからこその至言であり、この大災害にもぴったり当てはまってしまった。そしてその行為が早ければ早いほど命を助けることが可能になる。この場合は時は命なりだな。目の前に死神が迫っている。しかもかなりの高確率で死を運ぶ死神だ。勝てない戦には逃げるしかない。逃げるが勝ちか。

 二つ目のやつは湾に広がる火災のメカニズムと、防潮堤のある町での誤算だったか。津波風とか初めて聞いた。突風とかどういうメカニズムなのだろう。
 単体だけではまず燃え続けることはないが、津波に運ばれた油と瓦礫の組み合わせだと、海上で瓦礫がぬれていてもきっかけがあれば燃え出す。瓦礫が燃えて海面温度が上がってくると海面の油も燃え出して徐々に広がり、近くの瓦礫がそれで燃え移りという連鎖であの気仙沼の火事につながっていったそうだ。これも今回のことがなければ知ることはなかっただろうな。その火のきっかけがプロパンガスと火花を散らすもの。例えば自動車などということだから、都市部でどうなるかはわからないが、大量の自動車とそのガソリン、油と瓦礫があれば東京湾も火の海になるってことだな。東京湾沿いには大量のタンクがあることを考えると、消火活動が出来なければ何ヶ月も燃え続けることも考えられるわけか。
 なまじ大きな防潮堤などがあると過信から防災意識が希薄になるかもとの事だった。しかしあの防潮堤の形を見るとあの一点が乗り越えられればおわりなのだから、結局避難の必要はあったはず。過信していなかったとしても、誤算があるとすれば波の高さが警報の予想以上であったことか。6mなら大丈夫というのは、防潮堤をある程度知っているからこそで、一方でその予想以上の波が来ることに関して想定はしていなかった。波が来ないから、越えて来ないから大丈夫といって戻って駄目になった人も居たらしい。
 また避難経路を一直線でいけるようにしたために津波がすぐさま経路を通ってきたことは、事前の避難が完了していれば問題にはならないはずだったが、今回のを考えるとそうもいってられないかもしれないな。渋滞で動けないのに整然としているのも考えものであるから、大きくてまっすぐな経路も必要とは思うが、複数の経路も事前に周知しておく必要もあるな。結局自分の町をきちんと把握できているかどうかは重要と。今回のような震災ではそれが生死を分けた場合もあったかもしれないしな。


 帰宅困難者の話。群集パニックにつながるかもしれず、大事故につながるかもしれない人の溢れ方だったのはしょうがない面もあるのか。とりあえず外にでたいと感じるのは誰しも当然とは思うが、でも崩れたら崩れたでよっぽど広いところに避難してなければ巻き添えくらうから、外壁などが落ちてこないかとか考えると、耐震に信頼が置けるならば屋内で一定時間は身を守る方が安全なのかもしれないな。かといって駅とか店は結局外に出されるからしょうがない部分はあるが。といっても締め出されて身動きが取れなくなった群集が何かしらのきっかけで、1人がパニックに陥っただけで将棋倒しが発生したりと二次被害が起きる可能性が高く、となると駅などの人の集まりやすい、群集になりやすい場所ではその群集を誘導し整理する人間が必要になるということか。
 またもともと地震が落ち着いたり帰宅経路の安全が確認されないうちは、その場に待機していることが最善らしいな。ちょっと前の台風でも同様に1,2時間待てば雨風に晒されずにすんだものを、豪雨の中帰ってきたりするいものような人間もいるしな。家や家族が心配なのもわかるが、出来るだけ二次被害をなくす意味でも、我慢してとどまることのほうが重要か。
 この大量の帰宅困難者の発生はレンタカーなどにも殺到したそうで、交通情報センターは始まって以来道路が全部真っ赤とか、電車がストップしたこともあり交通網が完全に麻痺した状態だったんだな。
 このことは緊急車両の置ける不具合が非常に大きく、救急は通常より倍時間がかかったり最長2時間かかったとかもあったらしく、当然のごとく人の生死に大きく関わる事態となる。
 そしてそれ以上に重要なのは消防車の方で、今までの想定では火災が起こっても通常の道路状況想定のために火災の規模が低く設定されている状態だったようで、火災現場に到着する時間が想定より5分、10分と遅れていくほどに延焼規模は一気に増えていく。30分の消火活動ですむはずのものが、手の施しようもない状態になることを考えると、かなり危機的状態ではないかと考える。下手すると住民主導の消火活動が非常時にはことさら重要になるのかもしれない。しかし今まで家一軒の火災を自力で消化した住民なんぞいないことを考えると、消火機械も含めてなにかしら対策が必要なのではないだろうか。うちのまわりは区画の隅のほうといえども住宅ばかりだからもろに直結する。もちろん水道が使えているという前提があってこそだが、ホースで水をまくくらいしか出来ないうえに、界面活性剤を入れたりも出来ない。何かしらポンプとタンク的なものがなければ消防車と同等の効果はえられそうにないだろうから、高速のバイクの消火隊のような簡易設備でもあれば非常に役に立つように思うのだけれど。

 企業側も対応にかなり苦慮したようだ。留まるのが良いということをそもそも知らなかったとのことで、夕方それをアナウンスしても、同僚と連れ立って歩いて帰宅するというやり方をとったりして、結構な数が帰ったようだ。ビル自体にひびが入ったりでとても留めて置けないという企業もあったそうな。それらを踏まえて周りの不安の残るビルの帰宅困難者も留まれるように備蓄とかしてという条例をつくったりもしたそうだが、強制力がないのでお願いにあがるも、じゃあ備蓄分のお金は誰が出すの?というところでやっぱりそう簡単には進まないようだ。意味も意義も企業側は今回の震災を受けて十分わかっているし、対応については協力する気はあるが、お金はねということらしい。備蓄食糧を一ヶ所に置いておくリスク回避、分配の利便性も含めて企業に預けるという方策も無きにしも非ずに思えるのだが、もしそれについて怖い部分があるとすれば、非常時に協力企業側が備蓄を私物化してしまうかもしれないということだろうか。倉庫とその鍵を別々にすれば対応できそうな気もするが、露骨にいざという時信用できませんのでと言うのもはばかられるしな。そこは信用するしかないか。
 帰宅困難者が帰宅する理由は何よりも自分の家がどうなったか気になる。家族の心配。というのがやっぱり主な理由だろうな。1人暮らしなら家には自分が帰らないと把握は出来ないし、一刻も早く帰って管理下におきたいと思うのはこれも通常の反応だろうな。財産が全て詰まっているといってもいいわけだしな。家族は言うに及ばずだが、家に帰れば子供はそう遠くない場所にいるわけだから把握しやすいはずだしな。
 どこぞの保育園はツイッターで安否情報を逐次載せていたそうだ。音声電話はつながらない、メールもつながらないという状態で、ツイッターは比較的安定して使えていたようだ。それを踏まえて先月の防災訓練でもツイッターによる安否情報の試験もして、父母にツイッターの周知を促したそうな。こういうやり方は震災があったからこそでもあるが、ツイッター頼みなのも少し怖いな。しかしこれは親からすれば非常にありがたいだろうな。ネットにつながれば見ることが出来るし画像もあれば安心できる。無理な帰宅をするリスクを減らせるわけだしな。まぁそれでも親は出来るだけ早く迎えにいかなくてはと思うだろうが。 
 帰宅困難者のリスク低減のためには、事前に家族間での緊急連絡や非難に関して合意をしておくことが非常に有効で、安否確認はもとより、災害後にどういう行動をとるべきか事前にシミュレーションをしておくだけでも、いざという時に冷静に対処できる可能性は高くなるはず。
 子供たちのことや災害が災害を生む状況だけは避けなくてはならないことを考えると、地域住民も何でもかんでも出来るだけ使って非常時に備える。というのが重要という感じだったな。そこまでしてようやっと自然に立ち向かえるわけか。

 今技術的な前提として自動車や鉄道といった交通網があり、その技術やシステムの発達が住む場所と働く場所の距離を伸ばしてきた。帰宅困難者の問題はその前提となる交通網がなくなった場合のリスクであり、このリスクを回避しようと思ったら、住む場所と働く場所を出来るだけ近くにすること以外にない。
 そしてまた東京における集中のリスクも同様に残っている。集中のメリットの裏には帰宅困難者だけでなく、ちょっとしたきっかけで非常時に被害が集中し一気に拡大するというデメリットが存在している。

 日本は平和である。東京は戦後大きな災禍もなくすごしてきた。それを破ったのは安保闘争と地下鉄サリンと今回の震災くらいではないかと思う。今回の震災では様々なリスクが想定外の名の下に白日の下に晒された。しかしそのリスクを低減させる根本的な解決方法は今の社会構造上採れない。採ろうと思っても様々なしがらみから恐ろしく長い時間がかかるだろう。いざ有事が起き全壊して焼け野原にでもならない限り、そのリスクは常に東京に付きまとう。現実的にはリスクと共存していくしかない。一体なにをどうすれば良いのか。考えることが大きすぎてどこから考えていいのかわからない。そんな感じ。


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