はにわのノベが来た。デジタルやニコニコのパンフも同梱されてた。もう何もないと思っていただけになんだかうれしかった。
なんとなく生だから聞き始めたとういう超ラジガールズのノベも今週来た。4枚一辺に。多分四月分ってことなんだろうな。
はにわは、最初は公録とアナウンスされていた東京アニメフェアのイベントは、結局デジタルラジオでの放送のみとなったし、最終回の後半1時間はネット配信されずじまいに終わった。生で聞けなかった人には優しくない。はにわスタッフの方は何とかしてくれなかったのかなー。残念無念。
以降さっぱりもっさり山本麻里安さんとの接点はなくなってしまったなぁ。ラジオのみだったし。まぁしかたがないのかな。ただのはにわリスナーだったしな。おれ。
ガールズや狂乱で、はにわでみた名前を聞くと少しうれしいのは、はにわっこだったおれのひそかな楽しみ。
はにわについてはいろいろ書きたいようなこともあった気がするけど、せんないしな。地上波時代は本当に聞くだけリスナーだったけど、ネットに移ってからはむーとの思い出も一緒になるしな。しかも書くとすっきりして忘れやすくなるという諸刃の剣。
でも書く。
チャットつきどころかネットラジオの草分けだったラジオむー。初期は放送時間が不確定で、ネットの調子で早く始まったり遅く始まったり。盛り上がりや次の日の予定で、終了時間もまちまちだったり。まぁあのころはいろんな意味で可能性の塊のようなラジオだった。2000年前後が双方手探り的な意味もあって楽しかった。生ラジオですぐラジオからの返事があるというだけでなく、チャット企画などを通じて、ラジオ側との距離が一気に縮まった気がした。それまで普通の地上波しか聞いたことのない俺からすれば、その距離の近さは魅力的だった。
BSデジタルラジオに配信されるころには、放送時間も一定になり、チャットへの距離感も変わっていったし、番組にはハガキではなくメールという、今や当たり前のことさえもあの頃にはすっかり定着していた気がする。
そもそもチャットのラジオにのめりこみだしたきっかけは、自分のチャットでのボケが、昌也ングとかにウケたからだ。自分を名指しで面白いよーって言ってくれた事にとても興奮した。そもそも当時のむーのチャット4は皆がボケるチャットだった。場合によっては放送そっちのけで勝手にお題出してボケあったりしてた。確か。最初は見るだけだったが、パーソナリティーが入ってボケ出すと、オレもボケたいという欲求が涌き出てきて、いつしかチャットに参加するようになった。と言っても特定の友達がいるわけでもないので、一匹狼的だったが。
むーのチャットコーナーは、榎本温子のカルトクイズ。たくさんの参加者の中から早いもの勝ちで当てるのも大変だし、正解そっちのけでワンナップきのことかきのこスパゲッティとか、そういったボケをするチャット4だったのでなおのこと。一回当たったことあるけど台本来なかったな。
これがBSデジタルで放送時間もかわり、コーナーもあっさりになってしまった。たしか。
その代わりといってはなんだが、BSに移ってきたはにわには、チャット大喜利コーナーが作られた。初期の頃はむーのメンツとはかなりかぶっていたし、ポアロ擁護とかいろいろあった。当時のボケ常連はものすごくオモシロかった印象がある。
自分はまだその頃、メールやネタを積極的に送ってはいなかったので、当時は全くもって優勝することができなかった。
またチャットが頻繁に落ちるために、答える回数を一回にしたり、チャットの仕様が変更になったりと、QR側も番組が人気な頃に色々と対応していた。初期は鯖鰓もチャットコーナーの一種のネタだった。
大喜利コーナーでは初期の頃から、自分の答えを目立たせる工夫が色々されていたような気がする。単純なところでスペースを空けて、チャット欄の後ろ側や真中に答えを持ってきて、上下の答えの位置とかぶらないようにという配慮。これはむー時代には既にやられていた気がするが、今日までそのやり方は皆が用いている一種の常識。
JAVAチャットになってからは色づけも出来るようになったため、各々フォントの色にもこだわった。黄色や黄緑など飛ばし系の色は、背景が白であることもあって常連ではほとんど使われなかった。何せ読みにくい。おれは名前から青でずっと通した。見やすい色でよかった。
人によっては目立ちやすいハンドルにかえていた人もいるかもしれない。とにかく、大喜利では目に付かなければ読まれない。読まれない以上優勝できない。その意味では、あのコーナーでのチャット常連は徹底してたように思う。
まとめてみて再確認したが、自分は2004年になって初めて優勝した。2年間はさっぱり優勝できなかった。2004年になってから自分は地上波のラジオ番組にも少しではあるがメールを出すようになった。それまでネタを考えても出すまでには至らなかった。貪欲さという意味で2004年前後でそれも少し影響しているかもしれない。その頃にははにわでは確実に積極的に出していた。そして優勝するとその部分を何度も聞いていニヤニヤしていたw 自分のネタで笑わせるというのがうれしいので、これはもうしょうがない。なもんで、優勝した答えばっかり覚えている。自分ではそれ以上に面白いと思った答えは、もっとたくさんあったはずなんだけど。
あと、これはしょうがないことではあるが、番組の人気としてかげりが出てきたことも優勝できるようになった要素の一つだと思っている。その頃には他にもネットラジオはいろいろあったし、パーソナリティーの人気自体が下火になり、チャット参加者も初期に比べれば感覚的に半分くらいにはなっている。
リスナー減少からネタも内輪ネタが多くなり、新規の人はとっつき難くなりという繰り返しという感じだったんだろうと今は思う。そのおかげで?競争率が下がったので自分でも優勝できるようになったのである。
それでも、そこから少しずつ年1,2回のペースで優勝できたのは、幸運もあるがちょっとした自慢だ。番組でよく出るキーワードだけでなく、その日の流れや雰囲気をお題とあわせないといけないし、パーソナリティーのつぼをはずさないようにしないといけない。ベタな答えでも他の人よりよくできていれば優勝できたりする。他にもできるだけ早く答えを書いて、最初に目に付かせて、以降のたくさんの答えに埋もれないように意識したり、コーナー中の他の参加者の答えが止まる当たりのタイミングと、放送的にも止まるタイミングを狙って答えをだしたりしていた。
自分の中では10回読まれたら1回くらいはホームラン。という感じだった。なによりも読まれることをまず第一に考えていた。常にヒットを狙っていけば、三塁打や二塁打でも一番なったりするんじゃね?という感じ。
といっても、優勝できたものだけ見ると、全然浮かばない中から苦しんでひり出したものや、めちゃくちゃベターなもの、内輪なもの、直感だけのもの、望んだ反応が返ってこなかったもの、あきらかにいまイチなものと、まぁ結構ばらけているのはそれはそれで面白い感じがする。
そんなこんなで結構な熱意をかけて取り組んでいたチャットコーナーを持っていたはにわマイハウスも終わってしまった。これが自分のこれからの人生において何ら利益を生み出すことはないだろうが、好きな番組だったし、自分が多少なりとも役に立ったんじゃないかと思える番組だったのは確か。年月からも愛着が湧いて当然。スタッフに覚えられているかどうかはわからないが、憶えてもらっていたらうれしいな。後半は結構メールも読まれたしね。それだけマイナーともいえるんだけど。
この春からQRではチャットを持つ番組はなくなってしまった。デジタルの新番組では、そこまでの人気番組はないようだけど、どの番組もチャットを採用してないし当然専用のコーナーを立ち上げようという気もないみたい。レンタルチャットで多少費用がかかるみたいだけれど、リスナー規模によってはチャットがあるというのは、それ自体が非常に魅力的ではあるのだけれど。
生放送時のメールを通しての反応とチャットを通しての反応では、それでも速度に差があるし、メールでは構成作家を通すが、チャットならパーソナリティーの感性に直接触れられる意味もある。その即時性こそがなによりも最大の魅力であると思うし、それを構成要素の1つにした番組というのは差別化という意味でも、チャットは非常に有効である。と中級?リスナーである俺からは見えるのだけれどな。
もちろんチャットがあればいいというわけではない。実際、2002年時には、スパラジやコムチャットのような大多数のリスナーを持つ番組では、ワンコーナーとしてチャットはほとんど機能しなかった。ネットラジオ初期のネット環境ならまだしも、今の日本のネット環境では人気番組になったらチャットが機能しない。機能させようと思うなら相応のチャット数とそれを見る人間が必要になる。実況板を見てもアニスパの速度は偉く速いし、公式が出たらその速度は想像に難くない。パーソナリティーもスタッフも読みきれないチャットは、番組に活かしきれないどころか場合によってはマイナス材料になる。番組の構成要素の1つとするには不適当だ。ならば不要だし、2chなどの外でやってもらえば良いという事になる。他のラジオ局ではどうなのかは知らないが、局側がチャットを持つというのは根本的な構造としてリスキーである、ということなのかもしれないな。まぁその意味では、はにわはチャットコーナーができるくらいの人気で良かったともいえるわけだけれども。
こうやって長々とかいてみると、はにわがチャットを持つラジオとしては一種の完成形ではなかったか。と思う。はにわじゃなければここまで長くできなかったんじゃないだろうか。作り手側もリスナー側もこれ以上ないくらいチャットを番組に組みこんでいたし活用していたのではないか。自分たちでは気付かなかっただけで。
はにわ以上にチャットを番組の中核にすえるとなると、パーソナリティーや構成作家がチャットにつきっきりになるだろうし、バランスとしてははにわの形が通常の限度というものだろう。
ということは世界最高峰のチャットラジオリスナーだったんだなオレ。
こんなチャットラジオのことについて長々と書いたものも世の中にはそうあるまい。とか思いつつおわろうかな。はにわは終わってしまったことだし、もう書くこともとくにない。
始まりはむーだった。チャットでのボケ大会。そしてこのはにわで、メール技量、ネタ作成技量、大喜利能力は初期に比べれば格段に成長した。自分自身そう思う。むーでついて、はにわでこねた。座して食うは他の番組か。
ありがとう、さようなら、はにわマイハウス。ありがとう、さようなら、スタッフと他のリスナー。
しかし麻里安の芝居ははにわ以降全然変わらんという印象だったなぁ。ナレはまだ普通に聞けるのに。アニメではなんであんなに浮いて聞こえるんだろう。男のこはそれに比べれば良くできてた気がするんだけどな。声優として頑張って欲しいなぁ。という愚痴。