<一生懸命ふまじめ> 武宮正樹
ハゲ先生の囲碁観や人生観がメイン。この前ハロウィンで踊っている動画をチラッと見たけど、思ったより上手くない感じ。週20時間も踊ってこれとはまるっきり趣味の域wと思ったりもしたが、本当に囲碁の勉強が5分かどうかはよくわからんな。昔より今のほうが強いという実感があるらしいけど、リーグにも入らないのはやはり部分的に衰えがあるからなのだろうか。感覚的なものとそれを裏付ける読みの部分とは違うのだろうか。
カレー大好きとかはまぉ置いておくとして、生き方そのものが囲碁と一体になるようなイメージで日々過ごしていらっしゃるようだ。自分こそ囲碁そのものであるというような感じ。なんかそれはそれですごい。「感じて打つ」のが至高であり、それを目指すというのは一種の道のような印象も受ける。
いろんな価値観があってそれでいい。楽しんだもの勝ち。というのもまぁハゲ先生らしい。規制がどうのという話もあったけど、なんかヨーダと波長が合いそうな感じ。ただそれはまた別のお話だとは思う。「清く楽しく美しく」。カサブランカの女優とか知らん。
ハゲ先生の考え方で特に印象に残ったのは宇宙流の考え方。模様を作って入ってきたらそれを目一杯攻めてという理解だったけど全然違う。いい形が盤上にいくつもあって、相手の悪い形がいくつもあれば勝てるという発想。攻めることで相手の形を崩して、かつ自分がいい形になればそれで良しとする考え方。模様碁でそれでいいのか。ただ、なんとなくそれこそが全局的な厚みのようなものにつながるのかもしれない。でも結局厳しく寄り付かんとなんかぬるくなりそうな気はする。
ツケノビ定石について少し言ってたけど、じゃぁツケノビの形はいい形としてもやはり損なのだろうか。相手にもいい形を与えているから駄目という意味もあるのだろうか。後手だし。
先番の優位さをいかさなきゃもったいないという考え方もハゲ先生らしく、それで中央志向になるのだからよくわからない。それで勝てるという感覚はトップに立ったことがある棋士だからこそなのだろうか。白番は無理をしないでバランスをとるだけという感覚もそれだとか。又聞きで白番が玄人受けするとか聞いたりするくらい感覚的に先後で大きな違いはないらしい。
また、守るという感覚について、守っていないようで守れているのが望ましいという考え方に少し驚いた。まるで無形の位の様な考え方。守ったり構えるというのはそこからの動きに制約が出るというほとんど同じ考え方に、こんなところで通ずる部分があるのかとちょっと感動。確かに弱いようで弱くないという石の動きができれば、それはかなり神の一手に近い気はする。水のような千変万化の手を打てればさぞ気持ちいいだろうなぁとは思う。
小さな目標を積み立ててというのは自分には向かない。と間接的にチョーウの方法を否定。まぁ否定というほどじゃないけど、逆に捉えればチョーウの強みはセルフコントロールにあって、ハゲ先生とは対極のところにあるんじゃないかとも考えたりする。井山には結構好印象をもっているらしくて、自分の打ちたいように打っているのがいいのか。自分の打っている手が定石というハゲ先生らしい。
見舞いに行ったらちょっといってすぐ帰るというのも、そういうものなのかもな。見舞いなんて行ってみても何したらいいか全然わからん。
今後もっと形を考えて打ってみよう。できれば相手にいい形ができないようにも考えよう。感じて打つなんてとても無理だし筋が悪すぎる。局後にキチンと反省できるように打ちたいように。後悔する手を打ったときなどの精神的なコントロールの方がずっと大変と言っていたけど、プロ棋士でも当然のことなんだな。優勢劣勢で打つ手が変わったりするんだから俺と変わらん。その微妙な差異が勝負を分けるのがプロの世界なんだろうな。
令文の古力かなんかの雑誌対談をネットで見たとき、愚形で「負けてもそこには打てない」というハゲの考え方は読む手を制約するからどうかというのがあったが、ハゲ先生の考え方からすれば、愚形になる形が最善手になったその前までの段階で何かがおかしいという話になるんじゃないかとは思う。でもハゲ先生は愚形でも急所ならキチンと打つしな。まぁ相手のいい形を阻止する意味で愚形になるならまだしも、自分だけ愚形というのは気に入らないだろうなとは思う。