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CSCのブログのバックアップだったけど、こっちがほんちゃんに。

格安ツアーバス

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格安ツアーバス

Nスペを見る。あの社長は頭が良いはずだから、安全と利益が両立できることが一からつくったバス会社で証明できるだろうし、一方で、お金で確かに安全は買えるということもわかっているし、今ある他のバス会社が証明した仕組みを導入できるほどの体力がないことも知っているはず。少なくとも、あのVTRを見る限り、格安ツアーバスが登場したのは消費者が望んでいるからではあるが、一方でそれと競争過多の状態を大義名分に、チャーター料をガンガン下げて、あの会社だけが儲けているようにしか見えない。
 とはいっても、価格だけの販売戦略が本当に頭がいいかというと全くだから、おまえさんのいう経営努力もたいしたことないなといいたくなるが。販売戦略の稚拙さのしわ寄せが下請けにいっているという構造だからね。それに満員にしたら負けな気がするがどうだろう。

 今の状態を自分なりに考えてみると、どの企業も自分の会社の利益を上げることを第一にしていることが積み重なって、今の状態に陥っている。
 本来、プレイヤー皆が全体の利益を考えて行動していれば、ツアー会社だけが儲かっているということはないはず。皆がある程度の利益がでていてしかるべきだ。もちろん、経営努力・競争に勝てる為の努力をしていないところは、退場させられても文句は言えないだろうが、ほとんどの企業は最低限の努力はしているものだ。しかし、それでもなお死なない程度にしか利益が出せない今の状態は、努力の方向が間違っているからだといっていい。

 法律で定められている価格の半分程度まで値切られて、それで仕事を受けても罰せられるのはバス会社。というのは不公平だから改善して欲しい、となんとなくまとまってお上に奏上しても、これは若干筋が違う。自分達で出来る範囲を全てやった上でないと意味がない。
 チャーター料を原因として、今の状況を変えたいと思うのなら、バス会社全体がまとまって、最低価格以下では仕事をしないという態度を明確にすべきだ。しかしそれが出来ないのはそもそも団結力がない。自分のことだけで手一杯。誰かが裏切れば自分たちが真っ先に潰れる。とういうような状況だからだろう。自分だけでも生き残りたいという感情を否定するのは忍びないが、その感情を制御した上で一致団結できないと、一向に状況は変わらないということになる。

 別の観点からいえば、バス会社として今の状況から利益を上げるのが難しいのなら、自分達でより高い付加価値を見出していくしかない。簡単に言えば、自分達で企画を立ち上げてツアーバスを運行すればいい。今までハネられていた分だけ利益が出る。しかし、これも出来ないという問題がどこかにあるのだろう。宣伝や、実際上の仕組みを作り上げる労力は確かに大変だろうが。

 他は他のバス会社や旅行会社との提携だ。経営ノウハウの蓄積や資金的なメリットもあるが、様々なリスクが低減することが大きいのではないか。規模が大きいと小回りが利かなくなるなんていうのはよく聞くが、基本的にはメリットの方が多い。提携して余剰分をリストラということではなく、その分別の経営努力に力を振り向けられるはずだ。例えばそう、安全性の向上に役立つだろう。
 ただ、これも視野に入っているというような素振りは、あの下請けバス会社に見受けられなかった。この案にもどこか問題があるのだろうか?大規模同士というわけではない。小規模同士なら、メリットはかなりあるはずだ。過当競争の中で、優位の状態を築こうと思えば自ずとそうなる。Nスペの最後の方で旅行会社が孫受けを切って、直接の下請けだけを選択してやろうとしていることは、まさにこういったことではないだろうか。旅行会社という立場を使って経営的な影響力を行使し、自分の(自分達の)競争優位を築こうと。まぁ、俺でも考えるくらいだからもっと良い考えがあるかもしれないが。
 もし社長個人の誤ったこだわりなどから、経営においてそういった選択がされない場合はただ残念といわざるを得ない。旅行会社のあの社長はそういった部分を見ているような気がする。ビジネスに対してクレーバーになりきれるかは重要とでも言うように。

 とにもかくにも、根本的には個々の「自社利益の追求」がバス会社全体の首をしめている。もともと規制緩和から参入したバス会社が増えたので当然なのだが、一方で、個々の競争原理ではなく、全体の利益を考えて動く立場の人間もいなければならない。しかしそんな人間はVTRではついぞ出てこなかった。
 競争原理における自然淘汰が正しいから、そういう立場の人はいない方がいいとする人もいるだろう。俗にいう競争原理は、「大いなる時間と犠牲を払って篩(ふるい)にかけること」であると今回を機に思うようになった自分からすれば、競争原理なんていう概念はなんの役にも立たない。
 競争原理で生き残ること、すなわち適者生存の法則は確かに正しいと思うが、「経済」・「市場」でのそれは、その環境で生き残ったということを意味しているが、それ以上のことには触れられていない。生命の変遷と同様とするならば、本当に必要なのは「どうやって問題を解決するか」である。まわりの環境からくる問題を、自己が解決することによって企業は「進化」することができるからだ。
 競争原理という言葉を大義名分にして「市場」の管理を放棄することは、ただの食い合いを増長させるだけで、本当に篩にかけてるにすぎない。実際は「進化」を促がさねばならないのにだ。競争はその問題を見つけるのことや、成長には確かに役立つが、そもそも競争しないで「進化」の道がみつかるのなら、それに越したことはない。その意味で、多くのプレイヤーが競争原理という言葉のまやかしに踊らされている気がする。
 そもそも「経済」や「市場」なんて言葉は、どう捉えてもいいように出来ている至極融通のきく概念だ。これを使っているのも作っているのも人間である。人間がその使い方だけでなく、受け取り方を一つ間違えれば、全く別の解釈・結果ができあがることを頭にいれておかなければならない。だからこそ、業界を見渡せて「問題の解決に尽力できる」リーダーが必要になってくる。個々の利益を最大化すれば全体の利益が最大化されるという事象は、実際のところ少ない。全体の利益が最大化されるように個々の行動を制御してこそ、それこそ競争原理の意味がある。進化を深化させることにおいて。

 こうやって考えてみると、おそらくどの社会現象をとっても、人間が人間をどう管理するかという命題に落ち着くのではないだろうか。環境問題、戦争、貧困などなど、すべからくこの管理能力があったとすれば、問題として浮上してくることはなかっただろう。

 「人間が人間をどうやって管理するか」。この観点から見れば、論語や孫子など今まで読んできた様々な書物に限らず、世の中のあらゆる事から、新しい発見ができるかもしれない。マルクスの資本論はやはり一回は読まなくてはいけない気がしてきた。エラク長い。3航海で一日休み。
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